猛暑の京都に800人集まる!    22の分科会、170本を超すレポート!

感謝! 学生スタッフ、ボランティア、そして同志社中・高の教職員のみなさま!

 ステージには心安らぐ生け花。見上げればあざやかなステンドグラス。聞こえてくるのは、荘厳なパイプオルガンの音色。

 ここは、京都洛北。比叡山の山並みを背景に、煉瓦色で統一された同志社中学校・高校の校舎。宿志館のグレイスチャペルを会場に、歴教協第70回京都大会が始まりました。

 ときは201884日(土)~6日(月)。「現代と“明治150年”-けんぽう・ちいき・みらい」を大会テーマとして、記録的な猛暑の中、全国からたくさんの仲間が集まりました。 

▲左から、木村良己さん(同志社中高・校長)、丸浜昭さん(大会委員長)、白玉眞さん(韓国歴史教師の会・会長)、「萠」の右に「刂」泓さん(南京市第一中学(高校))

〈歓迎のことば〉ようこそ京都へ!京都と滋賀の歴史や文化、現実の課題を見据えて、ともに学び合いましょう         現地実行委員長 羽田 純一さん

 私は「伝統」と「革新」という2つの言葉が京都を表すキーワードだと考えています。京都の伝統文化も産業も、それぞれが古いものの中から価値あるものを選んで受け継ぎ、同時にその中から新しいものを常に生み出そうとしてきました。「伝統」の中に「革新」の要素を持ち込み、積み重ねることで、京都の「伝統」も生き続けてきたのです。古くても価値あるものを大切にし、新しいものを追い求めて来た=「伝統」と「革新」が息づく町が京都です。

 今年は、歴教協第70回の記念大会です。歴教協は、社会科の教育研究や実践、また、教育運動や平愛和運動の分野でもその特性を生かして大きな役割を果たしてきました。しかし、他の民間教育研究団体と同じく会員減や高齢化という悩みにも直面しています。どうすればもっと若い人たちが歴教協に参加してくれるのか、これからの歴教協はどんな活動をしてゆけばよいのか、そのことを考えながら私たちは大会準備を進めて参りました。

 歴教協の歴史の中から未来に受け継いでいくべき「伝統」を見極め、新たな歴教協のあり方を探る「革新」を目指す出発点としての役割を、京都大会が果たせることを私たちは願っています。

〈基調提案〉明治150年から学ぶこと、学んではならないこと                                                                                歴史教育者協議会委員長 山田 朗さん

 本年は「明治150年」にあたり、日本近現代のあり方をふり返り、現在と未来の日本社会を構想するには絶好の年です。この150年間の歴史には、学ぶべきことと学んではならない(反省すべきこと)があります。

 封建的な秩序と社会制度が打ち倒され、個人の権利と自由の重要性が叫ばれ、それらが尊重される国家・社会をめざす思想や運動が大きな広がりを見せたことは、私たちが大いに学び、継承・発展させるべきことです。しかし、他方で「脱亜入欧」的な価値観にもとづき、欧米列強とともにアジアの近隣諸国・諸民族に対する膨張主義的な路線を進め、出兵・戦争を繰り返し、植民地支配と侵略に傾斜したことは、私たちが学んではならない負の遺産です。

 アジア太平洋戦争から73年が経過した今日、戦争や植民地支配の記憶は、日本社会全体として希薄化していると言わざるをえません。核家族化の進展は、戦争の記憶を継承するものとしての家族の機能を大きく減退させていましました。しかし、そうであればこそ、地域と教育の場で私たちは、戦争の記憶をみずから発掘することを通じて、継承・発展させていく必要があります。私たちは、長年にわたって地域に根ざした歴史教育の重要性を提唱し、教育実践を蓄積してきました。私たちは、地域において蓄積された教育実践を常に、時代に即した形に磨きをかけながら、全国大会と『歴史地理教育』を通じて、より普遍性あるものにしていかなければなりません。

〈現地報告〉 学校・地域から創る平和の文化~朝鮮学校との交流が築いたもの~       京都歴教協・福知山支部 吉田 武彦さん

  私の実践報告の舞台、京都府綾部市、福知山市は京都市から車で1時間以上かかる地域にあります。電車は1時間に2本。切迫した過疎の現状は地域最大の課題で、「学校は地域に何ができるのか」という問題意識を常にもってきました。

 報告では、主に東綾中学校文化祭での舞鶴朝鮮初中級学校との6年間の交流、京都朝鮮中高級学校との2年間の交流を説明します。私は交流のいたるところで、朝鮮学校の朝鮮文化に対する誇りを感じてきました。それは東綾中学校の生徒達に、自分達の学校の文化や地域への自覚を促しました。校区の地域の方々を招待することで、文化祭は地域の人と朝鮮学校との出会いの場、地域の文化と朝鮮文化の交流の場にもなりました。そうして地域の方々から戦時中の軍用道路建設に関わる朝鮮の人たちの歴史を伺うことにもつながったのです。