12月例会

小学校6年生 水平社運動をどう授業したか

山崎ひかるさん(京都市立公立小学校)

 山崎ひかるさんは、社会科勉強会という小さなサークルに参加し、学んでいます。社会科勉強会は、西原弘明さん(到達度研)、辻健司さん(歴教協)、山中偉史さん(元中学校社会科教員)、羽田純一さん(歴教協)と小中の若い先生方の勉強会で、2016年12月に発足し、月に一回のペースでやっています。発足当初は、若い先生方から「同和問題っていうのはどういう問題なのか、教えて欲しい」「社会科の同和単元学習って、どういうふうに取り組んだらいいのか」といった悩みが出され、それにこたえる形で勉強会が持たれてきました。その中で、熱心に学んでこられたお一人が山崎さんです。

 

 山崎さんは、京都市内の公立小学校に勤務し、6年生の担任(児童数19名)をしています。子どもたちは「幼くてほのぼのとしていて、大人が大好き」な子どもだちです。
 この授業は、「世界に歩み出した日本」という単元(7時間)で実践した授業で、10月~11月にかけておこなわれたものです。単元の目標は、「大日本帝国憲法の発布、日清・日露の戦争、条約改正、科学の発展などについて各種の資料を活用して調べ、我が国の国力が充実し国際的な地位が向上したことについて考え、表現する」ということです。
7時間の構成は、次の通りです。
①明治時代の産業について調べ、日本の近代化について考える。
②ノルマントン号事件について話し合い、不平等条約について考える。
③二つの戦争と条約改正とのつながりを考え、その後、日本は朝鮮を植民地化したことを知る。
④明治時代以降、国際社会で活躍した科学者の働きを調べ、科学の面での発展について知る。
⑤日本の工業の発展と民主主義を求める様々な運動について調べる。
⑥就職や結婚などで差別され、苦しめられていた人々は、どのような運動を起こしたのかを知り、水平社運動に込められた思いや願いを考える。【ここの授業を中心に報告します】
⑦学習した人物について、インタビューしたいことやその答えを考える。

⑥の授業では、「演説する山田少年」の拡大写真を提示し、T「写真を見て気づくことは何かな」と聞いていきます。S「大勢の人の前で話をしている」「一体何を話しているのかな」などという活発な反応が返ってきます。以下の展開は次の通りです。
・岡崎公会堂やビラ(やさしく書き直したもの)を示し、水平社の創立大会を取りあげる。
・中心発問の提示「差別されてきた人々は、どんな世の中にしていきたかったのだろう」…水平社宣言の一部をやさしく書き直したものを配布し、読んでいく。人々が訴えたかったところに線をひきながら読み、その理由も考えるようにうながす。
・宣言の一部は、次のように書き直されている。「全国の仲間たちよ、今こそ団結しよう。(略)私たちの先祖は、自由と平等を心の底から願い、差別とたたかってきた人々だった。卑劣な身分制度に苦しめられながらも、誇りをもって世の中に欠かせない大切な仕事を行い、社会を支えてきた。(略)私たちは、この世の中がどんなに冷たいか、差別された人がどれほどつらい思いをしているかを誰よりもよく知っている。だからこそ、私たちはすべての人の幸せと希望を追い求めていくのだ。」
・今日の学習をふり返って、感じたことや考えたことをまとめる。S「差別に対して立ち上がった人々の行動から、差別を決して許さないという強い気持ちを感じた。」S「どんなことにも負けずに、人々のように前をむいて、立ち向かっていきたい。」S「人々の大きな運動が、現在につながっているのではないかと思いました。」-というような感想を子どもたちは書いた。
山崎さんは、次のような話をされました。
《普段は教科書をあまり使ってはいません。授業の資料として活用するやり方です。資料や写真を見せると、子どもたちは積極的に発言します。全国水平社の創立の授業では、山田孝野次郎(16歳)の訴えの写真を提示して授業を進めました。「結婚や就職で差別されてきた部落の人々は、どんな世の中にしていきたかったのだろうか」と問いを出した。自分たちの力で社会を動かすのはすごいこと、とても大変なことだと話しました。「差別が問題にできる社会になってきた」ことをおさえておきたいと思いました。
  どんな資料があれば、子どもたちにわかるようになるか、イメージをわかせることでできるかなどを考えました。なお、資料を貼りやすいようにノートは横向きにさせています。子どもたちは幼い部分もあるが、積極的に発言します。今回は校内授業研究会での実施でした。
  子どもたちには「就職差別」の感覚は弱い感じがしますし、わからないのではないかと思います。イメージを持たせるために映画「橋のない川」をやりたかったが、学校では「やめてくれ」と言われました。言葉が一人歩きするのではないかと指摘されました。》

同和問題のこれまでとこれから

辻健司(京都市立下京中学校)

 クイズや映像を入れ込んでPPTで展開しましたが、話のポイントしては次のようなことです。
◎「幕府は、士・農工商の身分をはっきりさせ、さらにその下にえた・ひにんという身分をおいた」という考え方を政治起源説といいますが、これはもう完全に古くて間違った考え方です。いくら幕府が強くても、「身分」を作ったり、おいたりすることはできません。だから、いまの教科書では、「百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました」と記述しているのです。

◎部落問題(=同和問題ともいいますが、同和問題という言い方は行政が作った言い方です)は、近代以降、それまでの身分制が解体するなかで発生し、深刻になり、さまざまなたたかいや取組が行われてきた問題です。
◎前近代(江戸時代まで)にも、いろいろな差別の問題があったじゃないか(例;渋染一揆)、それも部落問題じゃないかという意見もありますが、それは身分制社会の問題としてとらえなければなりません。身分制の社会であれば江戸時代であろうが平安時代であろうが、基本的人権があたりまえになっている今の時代から見れば、差別問題として見えるのですが、しかしそれは部落問題(同和問題)ではありません。また、江戸時代の「かわた村」がのちの同地地区になっているじゃないか-という意見もありますが、特定の地域出身であるがゆえに様々な差別があることを問題にしていくのは近代以降です。渋染一揆に立ち上がった「かわた村」の人々は、藩の倹約令に対して、「百姓と同じようにしてほしい」と願い出たのであって、身分制の解体を訴えたわけではありません。
◎では、なぜ近代になって部落問題が発生し、深刻になっていったのでしょうか。
第一に、政治的な理由です。1871(明治4)年に解放令が出て「四民平等」になったのかといえばそうではありません。皇族・華族・士族という特権階級が歴然とあり、天皇を頂点に「血筋」や「家柄」にこだわる社会に改編された-それに対する反発や抵抗が部落問題になっていくわけです。
第二に、経済的な理由です。資本主義社会の誕生です。低賃金で長時間働く労働者が必要になります。町へ出て工場で働くのに「身分」など関係ないのに、「血筋」「家柄」にこだわる人々(とりわけ起業家や経営者)は部落民を排除する-そこに部落問題が発生することになります。
第三に、社会的な理由です。大日本帝国憲法のもとでは、天皇・華族・士族に加え地主たちが支配層を形成しました。広い土地を所有し、多くの小作農から小作料をとりあげ、資産を築いていく地主です。地主はやがて資本家や政治家になり、地域の有力者となって地域の支配力を強めていきます。こうした支配に対し、小作農や労働者や部落民がさまざまなたたかいを、ときにはいっしょになって展開するのです。
◎戦後は、就職差別の実態とたたかいの特徴について、実例をあげてお話ししました。同和地区出身の高校生の就職差別に対して、学校の先生たちはもちろん、運動団体や府議会、労働組合などもいっしょになってたたかっていたことを強調したいのです。

◎1969(昭和44)年同和対策事業特別措置法制定以来、2002年3月に特別法終了まで、ざまざまな施策が行われてきました。この間、同和問題に対する考え方や運動のあり方をめぐって激しい論争や対立もありましたし、行政のあり方にも多々問題がありましたが、大きく状況が変わってきていることはたしかです。
◎いまの中高生や若い人たちに、かつての部落問題は見えなくなっています。解決のために取り組んできたのですから、あたりまえのことです。だから同和問題を人権教育として行う必要はなくなっているといえます。同和問題は、歴史的な問題になってきているのですから、社会科でひきとったらいいと考えます。人権学習としては、いまの生徒たちにとって切実な人権問題を取りあげていったらいいと思います。

◆使用した映像…今井正監督「橋のない川」(1969年)の小作料を納めるシーン、山本薩夫監督「あゝ野麦峠」(1979年)の社長が資金工作に行くシーン、植木等「スーダラ節」Youtubeより