7月例会 7月21日(土)同志社大学クローバーハウスにて

全国大会レポート11本、検討しました!

7月も、大会の分科会で発表予定のレポート11本ををみんなで検討しました。一日で11本も報告していただくと、参加者はすごい学びになるけど、正直しんどかったです。今月も中身の濃い濃い一日でした!

午前の部 9:00~12:30

報告①「乙訓の文化遺産を守る会のあゆみ-歴史文化教室のとりくみ」
報告者 岡本晶さん・長谷川澄夫さん
 

 乙訓の文化遺産を守る会(乙文と略称)は、1966年に創立され、「長岡京をはじめとする乙訓の文化遺産を守り、これを調査研究し、我々の文化の民族的・民主的発展に役立てる」ことを目的として出発しました。2016年には50周年を迎えています。初代会長は寿岳文章さん(英文学者)で、現在は櫛木謙周さん(元京都府立大学・古代史)で、会員数は約200名となっています。

 乙文の活動の柱は3つあります。第1は文化遺産を守る運動です。この活動は、例えば2015年には乙訓古墳群国史跡に結実する取組になっています。第2は、会誌の発行です。第3が、歴史文化教室の取組で、今回のレポートのテーマとなっています。

 歴史文化教室の目的は、乙訓地域の文化遺産の価値を広く市民に知ってもらうこと。これまで、現地見学会、講演会、会員相互の研究発表会などを開催してこられました。毎月1回の幹事会で具体的な活動内容を検討しているということです。

 なぜこんなに長く続いてきたのか、どんな苦労があったのか、これからの課題は何なのか、大会での報告が楽しみです。「父母委市民の歴史学習」の分科会で報告されます。

 

報告②「憲法改正問題をどう教えるかー授業内容の提示」
報告者 杉浦真理さん

 選挙権が18歳に引き下げられたもとで、安倍首相は9条に自衛隊を書き込みたいと主張している。そんな状況のなかで、立命館宇治高校でどんな授業が行われ、高校生たちがどんな議論を交わしたのか。生徒たちは、杉浦先生の指導のもと、生徒たちはまず9条をめぐり、どのような考え方があるのかを調査。出てきた疑問は、国会議員の事務所に直接質問したりしながら理解を深めていきました。そして改憲派と護憲派に分かれて討論会。どっちにするか迷っている生徒は、両方の意見を聞いて参考にします。議論は9条で戦争を防げるかどうかにも及んでいます。

 授業は次の展開へ。5つの政党から国会議員が授業へやってきました。話を聞き、直接質問をぶつける生徒たち。主張が対立したままかみ合っていないと感じている生徒もいます。その一週間後、模擬国民投票で自分の意見を決めることになります。どうなったか気になりますが、杉浦先生は「投票の結果ではなく、そのプロセスで生徒が学んでいくこと、そのことが大事」と語っています。概要はNHKの「関西熱視線」で放映されました(428日)。「憲法と現代社会」の分科会で報告されます。

 

報告③「わたしたちの国土-スタートで社会嫌いの克服を」

報告者 瀬川靖央さん 

〈「社会」嫌いの子どもが非常に多いし、「社会」を教えるのが嫌いな教師も非常に多いのです〉-そんなショッキングな話から始まりました。そんな中、数年前に研究授業を担当することになった瀬川さんは教材研究を進めるうちに、思ってもみなかったところに面白さが隠れていることに気付くのです。感動が思考をよぶということです。

 昨年度5年生を担任し、最初の授業で「世界地図をかいてみよう」と呼びかけたのです。子どもたちは、周りをキョロキョロ見ながら、また「こんな感じだったかな」といいながら描いていきました。そして答え合わせ。「あー、アフリカ忘れてた!」「○○のすごくない?」などと大盛り上がり。2時間目は、いろんな地図を紹介。南北反転の地図を見て、「先生、目がまわる!」と言う子どもも。3時間目は参観授業。班対抗の国当て3ヒントクイズは大盛り上がり。保護者のみなさんにも参加してもらい、世界に目を向けることの面白さを実感してもらえたようです。学年の初めの時期に、子どもたちの「もっと知りたい!もっとやりたい!」の気持ちを引き出した楽しい実践です。「小学校5年生」の分科会で報告されます。

 

午後の部 13:45~17:00 (2部屋に分けました)

報告④「平和ミュージアムのガイドー来館者に話していること」

報告者 布川庸子さん

 1941年から1946年まで小学校は国民学校と称された。敗戦の時、布川さんは5年生。修身という教科があったほか、何もかもが戦争一色。算数では数えるものがリンゴやミカンではなく、おもちゃの兵隊や兵器。国語は楠木正成をはじめ、忠君愛国、戦意を高揚する内容で、徹底的に丸暗記させられたという。

 戦後は京都学芸大学(現教育大学)美術科を経て、公立の小中学校に38年間勤務し、いまは立命館大学平和ミュージアムのガイドをされています。20065月来館者から大阪空襲の時の、畳の下の防空壕の話を聞いたというのです。当時中学2年生だった彼の家は助かったので学校へ行ったら、焼け跡の後始末をさせられた。「畳の下の防空壕に入っていた人は、家族が折り重なって蒸し焼き状態で亡くなってはりました」。

 布川さん、この話をきっかけに、自分の戦争体験を絵に描いてみようと思い立ちます。家にあった畳の下の防空壕の絵から始め、バケツリレー、金属の供出、耐寒訓練、集団下校、避難の姿勢など、20枚の絵ができました。歴史学者の荒井信一さんが来館された時に、「子どもたちにこの絵を見せて話している」というと、「大人にも見せてください、防空壕なんて想像できないでしょう」と励ましてもらいました。京都の児童劇団やまびこ座が、この絵を使った劇をしてくれたこともあります。-そう、布川さんのお話は報告ではなく、証言です。「思想・文化・文化活動」で、「証言」されます。

 

報告⑤「誰でもどこでもできる立憲主義の授業-憲法を知る学ぶために誰もが必要なこととして

報告者 竹山幸男さん

 「法のイメージは?」と生徒(同志社高校)に聞くと、「難しいもの」「強制される」など否定的なイメージでとらえられています。そういう実情をふまえて、人の支配から法の支配への歴史を説明し、憲法とは他の法律とどう違うのかを学習します。憲法には義務よりも権利が多く書かれていて、生活と深い関係にあることをつかませます。

 そして竹山さんが次に用意するのが「憲法クイズ」です。Q1.日本国憲法で一番大事な条文は?[13条;個人の尊重・イ.14条・ウ.25条;生存権・エ.三大原則]→エと答える生徒が多いが、大前提にあるのは「個人の尊重」であるということを押さえます。Q2.憲法は誰を縛るの?[ア.国民・イ.裁判官・ウ.天皇・エ.議員・オ.公務員]→ほとんどの生徒が正解できません。そこで99条を読みます。憲法を守る義務が課せられているのは、権力を動かしている人たちであることを教えます。憲法とは、国民みんなで権力者をしばり、制限するための決まりであることを再確認するのです。とはいえ「権力」をわかりやすくとらえさせるのは案外難しい。竹山さんは『檻の中のライオン』(楾大樹、かもがわ出版)の中にあるイラストがヒントになると薦めています。「憲法と現代の社会」の分科会で報告されます。

 

報告⑥「ほめない・しからない授業-学習者のリソースを信じること

報告者 稲垣裕史さん

 この実践は、大阪大谷大学文学部日本語日本文学科の1回生必修「中国文学入門」(半期科目、全15回、2クラス編成)、履修者は前期33名、後期32名。

 漢文嫌い・興味なしには、段階があることをつかむ。「中国嫌い」→「漢文嫌い」→「漢字嫌い」→「文学嫌い」。このうち「文学嫌い」を除く3つのレベルの学生の興味・関心を引き出してきた稲垣さん。いろいんなことがあり17年度を始めるにあたって「今年の目標は『頑張らない』」と宣言。成績評価は「ノート課題」一本に絞るという大胆な授業改革に挑んだのです。どうしたのか。A4白紙2枚表面だけを使い、好きにノートを作り翌週提出する。提出されたノートを、稲垣さんはPDFファイルにまとめ、学内のEラーニング・システムで受講者全員に公開。

 ではノートには何を書けばよいのか。Ⅰ.授業に関連した復習・予習・自習、Ⅱ.授業を通じて考えたこと(感想・書簡)、Ⅲ.他人のノート、誰か1人を選んでコメントをつけるという方法です。そうすると、淘淵明の「桃花源記」や杜甫の「春望」や故事成語などを個性的なマンガも描いてある楽しいノートが次々に出現。

 昨年の神奈川大会で、川口芳彦さんや草分京子さんの実践に学び、田中茂樹著『子どもを信じること』(大隅書店)に共感した稲垣さん。後期授業の最初に、「君たちを一切叱りません、褒めもしません」と宣言。どんな教育理念のもと、どんな授業になったか。学生はどんなノートを創ったか。「授業方法」の分科会で報告されます。

 

報告⑦「戦争体験を聞くとりくみ~アメリカのイラク帰還兵を招いて

報告者 庄司春子さん

 庄司さんが勤務する同志社高校では、3年生の必修科目「政治経済」で夏休みに、アジア太平洋戦争の体験者と、現代の紛争地に詳しい人を招いて講演会を行い、生徒に内容と感想をまとめる学習を2015年から続けています。きっかけは、集団的自衛権をめぐる議論が高まった2014年の夏休みに、生徒を対象に、大学教授や戦争体験者、弁護士を招いて講演会を行ったこと。戦後70年を迎えた2015年には、戦争体験者と世界の紛争地域で援助活動を行うNPO職員を講師に招きました。講演では、生徒にとっては授業や資料だけでは得られない貴重な学習の場となっています。

 4年目となった今年は、日本人だけでなく、イラクおよびアフガニスタンの戦場から帰還した元アメリカ軍兵士を招きました。ウィル・グリフィンさんは1985年冷戦最中の西ドイツの米軍基地に生まれました。父はドイツ系、母は韓国系で、ともに米軍に勤務。のち家族とともに韓国などの米軍基地を転々としたのち、200419歳でアメリカ陸軍に入隊。2010年からカリフォルニア大学で国際学を専攻。その後、VFP(民間団体「ベテランズフォーピース)の使節団の一人として世界各地を訪れ、現代の戦争を伝える努力を続けています。

 これまでの講演から高校生たちは何を学んだのか。そしてアメリカ軍の帰還兵の話とどんなやり取りをしたのか。「平和教育」の分科会で報告されます。

 

報告⑧「市民に開かれた放送局(KBS京都)づくりの運動

報告者 古住公義さん

京都放送(略称;KBS京都)は1951年に日本で5番目にラジオ局を開局した老舗の放送局です。1969年にはキィ局の系列に入らない独立のUHF局としてテレビも始めました。

 1981年に新社屋(現在の放送会館)に移転後、経営危機が発生したのです。その結果、通常は5年間として認定される放送免許が1年間の限定免許しか出されなくなりました。ここでまず立ち上がったのは141名の労働組合員で、労働債権を使って債権者として会社更生法を申請し、限定免許から通常の免許にもどしました。同時に取り組まれたのが「京の放送の灯を守る署名」で、多彩な呼びかけ人のメッセージやスピーチとともに、11ヶ月で40万人へと広がったのです。そしてKBS京都の基本方針が策定され、その三に「アクセス権を認容し、その必要な措置をとることにより、視聴者の権利と市民生活を守る機能を発揮しなければならない」という画期的な文言が入れられたのです。アクセス権とは反論権のこと。いまメディアが権力に忖度する状況が拡がるもとでも、なぜKBS京都の労働組合はアクセス権の思想をふまえ「市民に開かれた放送局づくり」を地道にすすめることができるのか。また一方で、なぜKBS労組はこの10年間で非正規の職員を150人も社員化し正規雇用に切り替えることができたのか。「憲法と現代社会」の分科会で報告されます。

 

報告⑨「自由と平等の国、アメリカ?~独立の経緯からアメリカの本質を考える~

報告者 町田研一さん

立命館宇治中学校高校に勤務する町田さん。昨年度、中学2年生で学び舎の教科書を使って、第6章「世界は近代へ」の1時間目の授業として実践したのがこの報告です。

町田先生は発問をし、生徒の関心を刺激し、やり取りをしながら展開して行きます。主な発問をあげます。Q「みんなのアメリカに対するイメージを自由にあげてみて」Q「北米大陸に人類が到達したのは何万年前?」Q「アメリカ先住民は黒人、白人、黄色人種のどれ?」Q17世紀、アメリカ大陸へやってきたのは誰?」Q「アメリカ独立戦争の時、インディアンたちはどうしたか?どっちかの味方をしたか、中立か、両方を攻撃したか?」Q「インディアンの居留地はどんな土地か?中1で学んだアメリカの地理を思い出してみよう」-つまりこの授業は、「アメリカ先住民の視点からアメリカ合衆国を学ぶことで、現在につながるアメリカ合衆国の本質を理解する」という目標をたてて構成されているのです。ここがまた学び舎の教科書の特色でもあります。もちろん後半で奴隷貿易の問題も扱われますが、先住民の視点からアメリカ史をとらえ直そうとする実践です。そうした流れのなかで、独立宣言(「すべての人が平等につくられ」)という内実が問い直されて行くのです。「中学校歴史」で報告されます。

 

報告⑩「甲子園はいつもそこにある~幻の甲子園ー当事者性と身近なものの教材化

報告者 佐々木じろうさん

この実践は、龍谷大学付属平安高校の2年アスリートコースの日本史Aにおいて4年間積み上げてきた、佐々木さんの思いのこもった報告です。「幻の甲子園」とは何か。いま夏の甲子園が100回目だと話題になっています(朝日新聞社の主催)が、もう一つ文部省主催の甲子園があったのです。ときは1942年。目的は戦意高揚。特別ルールがありました(球をよけてはならない、選手交代は禁止)。選手を「選士」と表現。試合中に、赤紙が来た甲子園来場者へ帰宅するように促す軍務公用アナウンスもあったといいます。スコアボードの横には「勝って兜の緒を締めよ」というスローガン。旧制平安中学校は京都代表として出場。ところがユ二フォームのローマ字使用が全チーム禁止されたため、伝統の「HEIAN」が「安平」に変更。エース富樫投手の活躍もあって決勝戦へ。ところが連投の疲れか、肩を痛め延長11回四球を連発して敗退。

授業デザインにあたって、佐々木さんは「学びの共同体」の考え方に学び、平和教育の実践に活かそうとしています。歴史的な史料や実物に触れることで、歴史という学問の専門性に学ぶ。そしてその学びと自分との接点を見いだせる環境を作ることが、歴史教育の真生性であるとする考え方です。佐々木さんの人柄と話術も効いて、生徒たちの生き生きと学ぶ姿が再現されましたが、その背景に歴史教育の真正性を追求しようとする問題意識がありました。授業の様子はNHKのお盆の頃の番組で紹介されます。「授業方法」の分科会で報告されます。

 

報告⑪「『同和問題学習にどう向き合ってきたか~同和行政と現実のはざまで~

報告者 梶原秀明さん

梶原さんは今年3月定年退職しました。学生時代に自治会活動で知り合った部落研の先輩から、「教師になるなら『橋のない川』は絶対読め」と言われていました。乙訓で講師として教員を始めたときに読んで、自分の問題意識に適合しました。

教師になって新任で福知山に赴任して、初めて担任したある生徒の家(「同和地域」だった)に家庭訪問した時に、母親が「わたしは字が読めないし、書けない。だから学校の書類は娘に書いてもらっている」と語ってくれました。これが差別かと実感しました。

その後1991N中学校ではいわゆる「作文事件」がおこりました。ある同和地区生徒が自分が部落に生まれたこと、差別に対する怒りや不合理性を訴えた弁論作文を書いたところ、学校は様々な配慮をしたうえで家庭訪問し、それを書き換えさせたのです。これをきっかけに運動団体が学校を糾弾し、その後地域生徒を集め激励会を行い「立場宣言」が奨励されるようになったのです。

梶原さんはそのN中に1998年赴任し、地域の変化や住民の思いに合致しない同和問題学習を続ける問題点を指摘し抵抗していきます。同和問題学習の前には、地区の隣保館で全教師参加のもと説明会を行うのですが、参加する住民は年々減少していました。ところが2009年の説明会で、「同和問題学習はやめてほしい、地域名を教師の口から言うのはやめてほしい」という保護者と出会います。そして同じ思いを持った人々の輪が広がり、同和問題学習の見直しが始まります。36年間の教員生活のなかで、梶原さんがこだわり続けた一つが同和問題です。きびしいたたかいの教訓が語られます。「憲法と現代の社会」の分科会で報告されます。