報告「古文書から見える江戸時代の村のくらし」

羽田純一さん(乙訓支部)

羽田先生はいまは京都歴教協の委員長です。乙訓で長く小

学校の先生をして退職後は若手のサポートや地域資料の研

究を続けておられます。この日は、江戸時代の乙訓の村の

ようすがわかる古文書の解説と教材化について、お話をし

ていただきました。

乙訓の村の特徴は、大名領がなく、公家、寺社、幕府領や

禁裏領が細かく入り組んでいるところにあります。たとえ

ば一番石高の多い今里村(1200石余り)は、なんと15もの

領主(公家領が多い)がいたとのこと。

 

 

「村の掟はみんなが守れ」という授業案も示されました。

これは今里村の「定め」を教材にしたプランです。農具や

下草を盗むな、洪水のときはみんなで協力、火事や盗みの

被害は村で援助する、よそ者を泊めるな、ばくちをするな

など。いろんな細かいことを百姓たちで決め、自治が行わ

れていたことがよくわかります。

 

 

 

 

光明寺の境内にため池を作らせてもらったけど、そこに入

れる水がないということで、隣の栗生村の谷川の水をもら

うために頼んで許しを得たようです。いまの放生池がそれ

であり、取水口の写真も見せてもらいました。

 

 

 

「村の年貢はどのようにして納めているの?」というテー

マで授業案を示されました。友岡村における1811(文化8

年ひつじ年から5年間の年貢がわかるを使った授業が説明さ

れました。これによると、村の取れ高の45%が年貢とな

り、そのうち米で納めているのが56%で、あとは銀で納め

ていたのが33%、のこりは銀または大豆だったというので

す。貨幣経済の広がりがわかる古文書ですね。

「水がほしい!-ため池をつくろう」の授業案も興味深い

ものでした。乙訓ではいまでも多くのため池と用水路が残

され使われています。今里村の庄屋が書いた史料を使っ

て、水不足をなんとかしようとするねばり強い努力をたど

る授業です。

 

 

「旅に出よう-江戸のレジャーは寺社参詣」は、楽しいク

イズも使った授業案でした。アクティブ・ラーニングもい

いのですが、地元に残る史料を読み解き、教材として使う

授業の研究と工夫も大事だなとあらためて感じました。

 

 


例会後は恒例の忘年会

例会後は恒例の忘年会でした。大丸近くのお店でワ

イワイ盛り上がりました。新会員からベテラン会員

まで22名で楽しいひと時でした!