5月例会 5月19日(土)同志社大学クローバーハウスにて

全国大会レポート8本、検討しました!

 

 京都歴教協では、開催地としての役割を果たさなければないのはもちろんなのですが、地元の実践や研究や運動をレポートにして大会にのぞもうと呼びかけました。そしたらなんと30本を超すレポートがエントリーされました。

 レポートの検討会はすでに始まっているのですが、5月は以下に紹介します8本をやりました。午前中は10名、午後からは16名の参加でした。中身の濃い濃い一日でした!

 

午前の部 10:00~12:30

報告①「宿題サポートセンターの取り組み」                報告者 大槻 良夫さん・玉井 陽一さん(京退教福知山支部)

2011年5月京退教福知山支部総会で当時の夜久支部長が「貧困と格差が広がる社会で、全国の退職教職員の実践に学び、私達も親を支援し、子どもを守るための取り組みをしたい」として、「算数教室」を提案されました。これをきっかけに「宿題サポートセンター」として、同年6月福天教育会館を会場に、会員6人保護者1人で開級式を行い、費用は無料、週3回(16:00~17:30)でスタートしました。校長も決まりスタッフも決まったけれど「けれども子どもをどうすんの?」と心配していたところ、来ました、夜久支部長と細谷副支部長(いずれも当時)のお孫さんでした。このあとも口コミで、孫の友だちや近所の子に呼びかけ、7人に増えました。
2012年からは月300円を集め、京退教のカンパ会計からサポーターの旅費を1回40円!出すようにしました。さまざまな課題をかかえた子どもたちがやってくるようになりました。「いろんな子がいて大変だけど、どんな子でも受け入れよう!」と、ある小学校区に新聞折り込みもしてPR。なんと子どもが21人に激増。「なんでせんなんの?」「いやや、したない!」-などと反抗的なことを言っていた子どもたちも、だんだん居場所を見つけやる気を示すように変わっていったのです。
昨年5月には、記念冊子「5周年のあゆみ」も刊行できました。「たくさんおはなしをして、たのしかったです」(小1)、「サポートセンターに来てだんだん勉強がわかるようになってきたので、学校でも発表の回数が増えてきたのでうれしいです」(小5)。子どもたちの笑顔をエネルギーに、保護者との信頼関係も厚くしながら、教育運動にもつなげていきたいと願っています。
-退職されたとはいえ、いまも衰えない子どもたちへの愛を実感させるこのレポートは、「地域の中の子どもたち」の分科会で報告されます。

報告②「ふつう」ってなに?                                                                           -出会いと関わり方の力で「ふつう」を広げる

報告者 小林 美由里さん(大阪大谷大学 日本語日本文学科2回生)

小林さんはとても率直に自分の生い立ちを語り、現代社会の人権状況をめぐって鋭い問題提起をされました。以下、その語りの概略です。
私には6歳離れた兄と5歳離れた姉がいます。兄には障がいがあります。私が小学校高学年の時、周りで「がいじ」という言葉が使われるようになり、障がいのあるクラスメートをバカにして笑っていました。私も合わせて笑っていました。私は「ふつう」でない兄がいることを知れまいとするようになりました。
中学生になって、ある時、兄の元担任と話す機会がありました。その先生は「お前の兄ちゃんはすごかった、逃げていなかった」と言われたのです。体育大会のムカデ競走をひかえ、兄はクラスの友だちといっしょに練習を重ねたけど、当日こけてしまいました。しかし誰も兄を責めなかったというのです。家に帰って兄の部屋を見ると、中学卒業の時にみんなからもらった寄せ書きがありました。兄を想う言葉がたくさん書かれていました。何もできない兄ではなかったのです。私は、兄を隠して生きるような生き方をやめました。
大阪府立松原高校に進学し、入学後すぐに行われたHR合宿で兄の話をしました。泣きながら聞いてくれ、私も泣いていました。担任やクラスの仲間と、安心、信頼、共感をいうベースが作られました。
こうした経験を、いじめ問題に取り組んでいる現役の先生たちの前で発表する機会を得ました。また教員をめざす大学生に、「ちがい」が豊かさになる授業ができないか考えました。私の小学校時代に、クラスであったいじめを題材にしようとしました。私はAとBと仲が良く、一方で「くさい」という理由でいじめを受けていたCちゃんがいました。私は、大学生に「このクラスの担任になったらどうしますか?」と問いました。その時、この取り組みに関心をもってくださった易(えき)寿也先生(松原高校元校長)が、「この話を題材にするということは、あなたはCちゃんをいじめていた加害者だったことに向き合っている?痛みをわかっていますか?」と言われた。加害者としての自分と向き合わなければ伝える資格などないとわかりました。私は謝罪をしにCちゃんに会いました。「ほっとした」とCちゃんは言い、「でも今からはい、仲直りとはできない」「でも謝ってくれたのはあなただけ」と言われました。
大学生となったいま、私は「ぴあ」という活動を立ち上げました。5人で、聴覚障がいのある学生の支援をしたりしています。また、教師を目指す大学生や人権問題意識のある学生と意見交換会「たまご会議」に参加しています。私は今高校の国語教員を目指しています。私のように悩んでいる生徒と一緒に悩んでいきたいと思っています。
-現代の子どもたちをとりまく状況がリアルに再現され、深く考えさせられました。このレポートは、「憲法と現代」の分科会で報告されます。

報告③ 「高校1年生現代社会 米軍基地を考える」

報告者 大川 沙織さん(京都府立西城陽高校)

西城陽高校は、1983年開校。1学年8クラスの高校で、GS(グローバルスタディ)コース3クラス、CS(クラブ&スタディ)コース4クラス、SSコース(スポーツ総合専攻)1クラスという編成です。
大川先生は、5年ぶり2回目の現代社会を担当することになりました。歴教協の大会でさまざまな実践を知り、現代社会の授業プランはいろいろ浮かんだものの、実際に授業が始まると準備が大変でくじけそうになったと語っています。
教科書は、第一学習社でその第3章の「2 平和主義と安全保障」のところを4時間かけて取り組みました。
使用教材としては、教科書のほか、浜島書店『ニュービジョン現代』、NHKスペシャル「沖縄空白の1年~基地の島はこうして生まれた~」2016年8月20日放送、プリント『まるごと社会科中学公民(上)改訂版』p.56クイズで考えよう!沖縄の基地2014年
授業構成は次の通りです。
1時間目 平和主義と安全保障…戦後自衛隊の創設、日米安全保障条約⇒講義
2時間目 平和主義と安全保障…日本の防衛政策⇒講義
3時間目 基地問題を知るPPT…NHKスペシャル「沖縄空白の1年」の部分視聴(冒頭部分/基地建設)
4時間目 基地問題について考える
1・2時間目の講義では、寝てしまう生徒がかなりいて苦戦されている様子が率直に語られました。
そして、この授業に取り組んだ思いとして、「いまある問題をやってみたい、けれどもやり方については気をつけないといけないと思いながら」とお話しされました。まさに現代社会の問題を取り上げたいが、「何か」に気を遣いながら実践しなければならない…。「主権者教育」とか「主体的で対話的な深い学び」とかいっているのに、この「何か」とは何か。さらに気をつけたい点として、大川先生は「基地問題については賛否は問わない。『どうしたらいいか?』を問う。現状の課題をどうやって解決に導いていくかを考えさせる。」として、4時間目では「論拠を明らかにし、具体的に解決策を考えさせる。議論シートを利用して論拠を書かせるようにする。」として、シートへの記述を求めました。このシートには、「1.自分の意見を整理しよう」「2.自分の意見の論拠を示そう」「3.他の人の意見を聞いて発見したこと、それに対する自分の意見」という3つの項目が設けられています。
そこで、生徒たちはどんな反応をしたか。ここがたいへん興味のあるところですが、この日のレポートにはその紹介や分析が間に合わなくて、大会の分科会でのお楽しみとなりました。大ざっぱな傾向としては、米軍基地があることは「しようがない」と考えている生徒が約半数。「米軍基地はいらない」とする生徒は多くない。一方で、「絶対いる」とする生徒もいる。-ということでした。
いまどきの高校生に「米軍基地」をキーワードにしながら平和のあり方作り方を考えさせようとする非常に意義のある実践です。大川先生が持った問題意識や留意点についても、みんなで広く議論をし、社会科教員の使命についても考えていく必要があるのではないでしょうか。「高校」の分科会で報告されます。

午後の部 13:30~17:00

報告④「地域づくりの取り組みを通して考えたこと                                  -地域の再生とは何か」

報告者 原田 久さん(元京都府立高校)

原田先生(元府立高校)は、南丹市園部町の天引(あまびき)にお住まいです。京都府のほぼ中央、丹波山地にあり、兵庫県篠山市と大阪府能勢町にも接しています。全国各地の中山間地と同様、少子高齢化が止まりません。1988年303人だった人口は、2016年には166人まで減り、この年の65歳以上の人口は77人(全体の46.4%)で、14歳以下は6名(全体の3.6%)です。空き家や田畑の未耕作地が増え、山林は手入れされずに放置されています。村を覆う無力感と自信の喪失という危機も広がっているといいます。
20年ほど前、「むら」に国道バイパスを作る計画が持ち上がりました。ところが、建設予定ルートは一部の関係者だけが知る中で線引きが行われ、全体にオープンにされませんでした。原田先生はそのような進め方に異議を唱えましたが、同調する人は少なく「民主主義は多数決だ、少数者は大勢に従うべきだ」という皮相な民主主義理解も何度も飛び出したといいます。前近代的ともいえる「むら」の古いあり方に対峙した原田先生。このときは「一時は村八分状態だった」とつぶやいておられました。
「このままでは村がなくなる」という強い危機感を共通の問題意識にして、「むら」を元気にする取り組みを始められました。2つの組織を立ち上げたのです。1つは「天引区の活性化と未来を考える会」。これは「むら」人全員が会員で、「会」に企画立案を行う事務局を設置し(原田先生が事務局長)、事務局で作成された企画案を「むら」のすべての代表で構成する運営委員会にかけ、ここで了解されれば実行に移す。事務局員は7名中3名が、運営委員は22名中6名が女性です。
もう1つは、「むら」出身者で構成する「天引応援団」の立ち上げです。応援団は、「むら」に斬新なアイデア、豊かな人脈を提供してくれています。
従来、「むら」の運営は役員中心で、一般の「むら」人には情報が行き渡っていませんでした。そこで2つ手を打ちます。1つはアンケートとワークショップを行い、「天引活性化マップ」にまとめ、「むら」の将来像をはっきりさせました。もう1つは、「むら」の中の出来事や声、取り組みの様子や今後の予定などを掲載した月刊「天引元気ニュース」を発行しました。これで「むら」の風通しが随分良くなりました。
会議のルールも策定。①自由に発言する②人の発言をけなさない③前例にとらわれない④すぐに実現できなくても夢を語る-の4原則です。
いま「むら」では、京都府の事業を活用した地元の物産販売所「天引むくむく市」(毎月第2・第4日曜の午前中開店)も軌道に乗ってきています。米、野菜、炭、シイタケ、最近では加工品も並びます。屋台も6つ出ます。「出品することが生きがいになった」「顔を合わす機会が増え連帯感が強まってきた」-そんな声がいくつも聞こえます。
こららの具体的な取り組みは、冊子『椋の木の下で-天引活性化6年間のあゆみ-』にまとめられています。
「村八分状態」から2つの組織の立ち上げへ。そのとき、原田先生にどんな葛藤や覚悟があったのか。声高には語られませんでしたが、伝わってはきました。「私たちは『むら』の活性化という取り組みを通して、地域に民主主義を根付かせる、民主的な人格を形成するという、小さくても中身の濃い『実験』に今後ともチャレンジしていきたい」というまとめを聞いて、「すごいなぁ」「地域に根ざすってこういうことなんや」とみなさん思いました。「現代の課題と教育」の分科会で報告されます。

報告⑤「夏休みこどもひろばのとりくみ-7年間の歩みを振り返って」

報告者 上野 志保子さん

2010年夏、新日本婦人の会向日支部の会員で、子育て中のお母さんから「うちの子は夏休みの宿題を残したままもうすぐ夏休みが終わろうとしていて心配です」「子ども一人だけでは完成が難しい宿題があるけれど、親もどう助言してやったらよいかわからない」という声があり、新婦人向日支部の事務所に子どもを集めて宿題相談会として3日間取り組みました。狭い事務所に6人の子どもが集まり、子どもにも親にも好評で「宿題が完成してよかった、来年もぜひ開いてほしい」という感想が寄せられました。
ちょうどその頃、乙訓医療生協では、医療生協の会員さんの高齢化が進むなか、若い世代の願いにあった活動を広げたいと考えていて、次年度の宿題相談会は乙訓医療生協と新婦人の会向日支部が共催でやろうと呼びかけがありました。それなら乙訓退職教職員の会の力も借りようということになり、3団体で実行委員会を作って準備を始めました。
そして2011年7月の実行委員会で、次のことを確認しました。
名称;「夏休みこどものひろば」
目的;①夏休みの宿題の悩みが解決できるようにする。
       ②楽しい豊かな夏休みをすごせるような活動をする。
対象;小学生。ただし、乙訓医療生協組合員、新日本婦人の会会員・読者、乙訓退職教職   員の会会員に限る。(このように限定した理由は、会場の収容能力、スタッフの人   数から考えて責任を持ちきれるのは30人くらいまでと予想できたからです。)
   わんぱくクラブ(学童保育所を卒所した5・6年生の児童を対象に保護者が自主運   営で夏休み中開設している居場所)にも参加を呼びかける。
参加費;1家族1日100円 
スタートが宿題対策だったとはいえ、毎年の取り組み内容はなかなか多彩です。おりぞめ、絵手紙、絵本の読み聞かせ、健康チェック、描画(ザリガニを描いたり、ある年はイカを描いたり)、理科の実験、お菓子作り、カレーライスを作って昼食会など。それぞれ講師は、主催者のなかの得意技をお持ちのスタッフがつとめました。夏休みの5~6日間、どの年も児童の参加者数(のべ人数)は昨年が71人だったほかは100人を超し、スタッフも70人ほどが参加しました。
今年は、わんぱくクラブが解散したので、参加者が減りそうとのことですが、少なくなっても子どもと保護者の要望がある限り続けて行こうということです。仕事や立場のちがう大人たちが手を取り合って、地域の子どもたちの健やかな成長をサポートしようという地道で粘り強い取り組みです。「地域のなかの子どもたち」の分科会で報告されます。

報告⑥「先覚者・岩崎革也の事績の掘り起こしと顕彰-初期社会主義を支援した丹波の名望家」

報告者 田中 仁さん(京都丹波岩崎革也研究会)

岩崎革也(いわさき・かくや、1869~1943年)とは、船井郡須知町(現京丹波町須知)で銀行を営み、須知町長や京都府会議員をつとめた地元の名望家でした。若い頃に陽明学を学び、自由民権思想やキリスト教の影響を受け、さらには社会主義思想にも関心を持った人物です。
幸徳秋水や堺利彦らが『平民新聞』を発刊して日露戦争に反対する主張を掲げると、革也は多額の経済援助を行っていました。そして大逆事件の連座をまぬがれた堺が、事件の犠牲者遺族を慰問するための全費用を負担していたのです。
また革也はこうした初期社会主義者や著名な政治家との交流だけではなく、町長や府会議員として丹波地域の産業や交通の整備に多大な貢献をし、銀行家としても個人としても学校教育や災害復興に積極的に寄付を行い、地域を支えたのです。
須知高校に勤務経験のある5名の教員と私(田中仁先生)が、京都縦貫道の延伸工事で旧岩崎革也邸が取り壊されると知ったのは2010年の8月でした。そして2012年になり、取り壊しの前に、地元の人に革也を知ってもらいたいと8月に講演会を開催しました。120名をこえる参加者があり大盛況でしたが、岩崎家とは連絡が取れないままの開催であったのに、当主の岩崎長(ひさし、1922年生まれ)氏が娘さんとお孫さんを連れて参加されていたのです。これをきっかけに、私たちは岩崎家と連絡を取りながら、史資料の整理や公的施設への収納のために奔走することになったのです。
2013年には1月と5月に岩崎家見学会や講演の集いを開催し、地元内外に関心を高めめした。デザイナーの田中啓氏は、DVD版記録映画『岩崎革也旧邸2013』を製作された。また幸徳秋水の縁者にあたる幸徳正夫氏(東京在住)も参加され、岩崎旧邸で岩崎長氏らと縁故を確認し合う場面もありました。
一方、邸内の史資料や文化財を、地域の人びとがいつでも見られる形で保存したいという方向で動き出しました。この間好意的な記事を掲載してくれていた京都新聞の記者の紹介もあって、南丹市の市立文化博物館との折衝が進展し始めました。学芸員の方も理解を示し、文化博物館と岩崎家双方が納得し、岩崎家がすべてを寄贈する形で博物館に収納されることが決まりました。
こうした活動と並行して、田中先生たちは史資料や書籍類の整理を進め、冊子『京都丹波・岩崎革也旧邸の史資料保存の取り組み』としてまとめました。さらに革也の日記と革也宛ての書簡を解読する作業にかかり、岩崎家の了解を得て『岩崎革也日記 抄』として刊行できました。
文化博物館と協力しながら、『日記 抄』刊行と新しい講演・展示会をセットにして、南丹市の「市民提案型」交付金を申請し満額(20万円)で受理されました。そして今年3月10日に講演・展示会を開催し100名を超えるイベントになり、地域住民はもちろん全国から大逆事件犠牲者の名誉回復に取り組む団体や個人も参加されました。「よくこのような資料が残っていたことにびっくり」「同じ郷土に住む者として誇らしく感じた」「革也のことはあまり知られていないので今後ますます普及してほしい」といった感想が寄せられました。
地道な努力の積み重ねがいかに大切か。「地域の掘り起こし」の意義や方法について、実に多くの示唆に富み深く考えさせる秀逸の報告だと感じ入りました。「地域の掘り起こし」で報告されます。

報告⑦「南山城労働学校のとりくみ~社会科教師は積極的に地域に出よう」

報告者 本庄 豊さん(立命館宇治中学校・高校)

「来年ではないのです、明日が見えないのです。この先わたしたちの生活はどうなっていくのか、人生はどうなっていくのかがわからないのです」-こういう青年の思いや悩みにこたえようと、昨年、京都府南部の宇治・城陽・久御山地区労働組合協議会(地区労)などが実行委員会を結成し、6回にわたって南山城労働学校を開催しました。
この宇城久地区労とは、構成員が6800人。本庄さんが議長をしています。宇治市職労、京都建築労組、宇治久世教祖など36単産で構成され、活動としては、春闘、メーデー、平和行進、原水禁大会派遣、労働争議支援、自治体首長選挙、山宣墓前祭、平和ツアーなど、地域共同の要としてがんばっています。
そもそも南山城労働学校には歴史があり、第1回は1920年代に山本宣治が校長として開校され、第2回は敗戦後の労働運動の高揚のなかで開校され、第3回は1980年代の労働戦線の分裂のなかで開校され、そして第4回が昨年の9月~12月にかけて非正規雇用拡大と青年労働者の加入増加のなかで開校されたのです。
今回の労働学校の講座6回分の内容と講師陣は、次の通りです。第1回「戦争のリアルと安保法制のウソ」(西谷文和さん)、第2回「格差と貧困はなぜ広がるの?」(本庄豊さん)、第3回「沖縄から見える安保と憲法」(平井美津子さん)、第4回「社会は変わる変えられる」(本庄豊さん)、第5回「ものごとを決めつけていませんか」(田村和久さん)、第6回「働くこと学ぶこと生きること」(安斎育郎さん)。多いときには100人を超える参加者がありました。オプションとして、沖縄修学旅行も実施しました。
最初の1時間20分を講義にあて、後半30分を参加者同士のグループ討議にあて、ました。討議では「政権が変わらないから選挙に行かない」「本当に政治は変わるのか」など、参加者が率直な感想や疑問を出し合って議論をしました。「グループ討議で、参加者が、土日もなく2週間の連続勤務をするなど職場の実態も出し合い、なぜこんな状況になっているのか、原因や仕組みについて議論になった。身近な問題がどう社会や政治、経済の問題と結びついており、どうすれば解決していけるのかを理解してもらうように努めた」と本庄さんは語っています。
20歳代の女性はこんな感想を書いています。「正しい情報を見極め、自分の頭で考え、行動することが、必ず社会がよい方向に向かうことにつながるんだと知りました。今後も政治や経済、歴史、科学などを広く学び続け、『なんで?』を大事にしながら、平和を求めてできることから行動していきたいです。」サブタイトルにあるように、本庄さんは「社会科教師は積極的に地域に出よう」と呼びかけています。中学校公民の分科会で報告されます。

報告⑧「ワン・ワールド・フェスティバルfor Youth~高校生のための国際交流・国際協力EXPO~」

報告者 田中 めぐみさん

“What can I do for the World?”-田中さんが教師になって2年目の春、ワン・ワールド・フェスティバルの会場で、ある高校生から小さなカードをプレゼントされた。そのカードには児童労働で作られたサッカーボールの写真があり、そこに高校生の手書きのこのメッセージが書いてあったというのです。問いかけに、田中さんは「私も何かしたい」と強く思ったのです。
ワン・ワールド・フェスティバルとは、「西日本最大の世界に繋がる国際協力のお祭り」と謳って、毎年2月に開催されているのですが、2014年から「ワン・ワールド・フェスティバルfor Youth~高校生のための国際交流・国際協力EXPO~」(以下、ワンフェスYouthと略す)として、大人の団体のイベントと切り離され、毎年12月に開催されるようになったのです。参加者がすごいのです。2014年はのべ1900人だったそうですが、2015年5000人、2016年5700人、そして昨年は5300人。このかげには、関西の高校教師、大学教員、NGO・NPOスタッフが、ワンフェスYouth運営委員会を組織し、高校生の活動を支えているのです(田中さんは2015年より運営委員をされています)。そして主役の高校生たちは、毎年7月に高校生実行委員会の募集と第1回会議(昨年は6校16名で組織)があり、半年かけて12月当日の各イベントが盛り上がるよう、生徒同士で議論し決定して行くのです。あわせてボランティアリーダーも組織され(昨年は11校約20名)が当日のボランティア100名ほどを統括して行ったのです。

ワンフェスYouthの主な内容は、「体験!世界がもし100人の村だったら」「高校生のためのポスターセッション」「ブース出展」「ステージ発表:世界を知ろう!ワンフェスYouthコレクション」「高校生のための国際協力助成プログラム」「高校生活動報告会」「高校生のためのワークショップ・参加型ディスカッション」「大学生エッセイコンテスト2017授賞式」「カフェ・ワンワールド2017」など実に多彩です。たとえば「100人の村だったら」は、実際に100人の参加者を募り、疑似体験をします。人口、富の分配、識字能力など、参加者が当然と思っていたことが実は地球規模で見るとちっとも当然ではないことに気がつきます。またたとえば、「ブース出展」では、大阪府立松原高校が2016年12月へタイで行ったスタディツアーの報告をしたり、立命館宇治中学校・高校はブータンでのスタディツアーの報告をしました。
田中さんは、ワンフェスYouthという高校生にとっては大きな学びのチャンスに、自分の学校の生徒にもぜひ参加して欲しいと願っていましたが、どうしたらよいか毎年思案していました。外務省の後援に加え2017年に文部科学省の後援も取り付けられ、校内のなかで提起しやすくなり、高1~高3まで全員にチラシを配布することができました。

そして3人の生徒がボランティア活動を体験しました。こんな感想が紹介されました。「“国際協力”について、今までは漠然としたイメージしか持っていなかったが、実際にこのボランティアに参加してみて、自分と同世代の学生たちが創意工夫をこらして“国際協力”に真剣に取り組んでいる姿を目の当たりにして、とても刺激を受けた。…このボランティアに参加することで、“国際協力”に関する多種多様な意見・提案を聞くことができ、私自身“国際協力”に対してより一層深い関心を持ち、強く心を動かされたので、次は自分が発信していく立場になりたい。」-“国際協力”に視線を向ける若者が、若い先生たちのサポートも受けながら、着実に広がっていることを強く感じました。「高校」の分科会で報告予定です。