6月例会 6月16日(土)同志社大学クローバーハウスにて

全国大会レポート9本、検討しました!

先月に引き続き、大会の分科会で発表予定のレポート9本ををみんなで検討しました。今月も中身の濃い濃い一日でした!

 

午前の部 9:00~12:30

 

報告①「教養地理学の実践とレポート活用」 

報告者 西岡尚也さん(大阪商業大学)

 

 

西岡先生は、園部高校や南丹高校に勤務されたあと、琉球大で12年間教鞭をとり、5年前から現任校で教職課程を担当されています。大学の一般教養として地理学がもつ意義を、授業で作成・使用されているレポートを紹介されながら、たいへんわかりやすくお話になりました。地理学geographyは、「geo=土地」を「graphy=描く」学問として、諸学の交差点としての役割を果たしてきた楽しい学問ですと、歴史のエピソードも交えながら大学の授業を再現されました。15回の授業ごとに書かせるレポートは、試験のときに持ち込んでOK。そして試験終了時にホッチキスで綴じて提出させ、最後には自己評価もさせる。そんなレポートは、毎回のようにあえて手書きの地図を書かせ、時事問題に関心を持たせ、調べ学習も奨励していく仕掛けになっています。大学生のとのリアルなやり取りや、成績の付け方の実情にも言及され、興味深いお話が尽きませんでした。「大学」の分科会で報告されます。

 

 

報告②「外国人の記録から見る日本-史料から前近代日本を読み解く授業-」

報告者 村木真理さん(同志社中学校・高校)

 

 

村木先生は、「史料と厳しく切り結ぶことで歴史的事実を解明していくという、科学としての歴史学がある一方で、心地よい「物語」としての歴史が語られていくことへの危機感があります」「とはいえ、史料読解自体が高校生にとってハードルが高い」「史料を読み解くことで歴史的事実が明らかになっていく過程を実感させたい」と問題意識を語られました。昨年度3学期に、日本史Bの選択授業で取り組まれた実践です。きっかけとして、渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)を読み感銘を受けた先生ご自身の読書体験があります。その本の参考文献として記載されている外国人の日本見聞記のうち、なんと70冊も同志社高校の図書室に所蔵されているというので、リスト化し、冬休みの課題を設定。そして講義形式の授業と調べ学習を組み合わせ、班別研究の発表と個人レポートの作成へとつなげていった実践でした。前近代の子どもや民家の様子、女性の地位や結婚観など、史料に基づき歴史的事実をつかもうとする生徒たちの姿が見えてきました。「日本前近代」の分科会で報告されます。

 

 報告③「アクティブラーニングを意識した社会科指導

-様々な切り口から迫る社会科の楽しさ-」

報告者 天野洋平さん(京田辺市立培良中学校)

 

 例えば、明治期の諸改革の授業では「学制が発布され、草内・東区域ではどのような動きがあったのでしょう」と問いかけます。具体的には、「どうやってお金を集めただろう?感動のエピソードとは?」「始まった培良校(明治11年)、すぐに起こった問題とは?」「授業料はどれくらい?」「この地域の子どもたちの何%が学校へ来た?」という問いを投げかけ、どんどん生徒の発言を引き出していきます。「士族にとってつらかったことは何か?」と聞いたり、ときには「明治政府が行ったことを民衆の立場から点数をつけよう」と、多角的な見方をさせようとします。地域教材を準備し、手作りのワークシートやパワーポイントの教材とともに、これぞまさに全力投球のアクティブラーニング。

 

天野先生によれば「いまの培良中学校の生徒は、反抗はしないけれど人前でしゃべったりできない」。とはいえ先生の思いのこもった授業作りで、生徒との楽しいやり取りや小集団の話し合い活動が再現されました。「中学校歴史」の分科会で報告されます。

 

午後の部 13:45~18:00

 

報告④「京都府農牧学校研究と文化遺産化活動について

-一次史料群の発見及び資料館開設・展示運営-」

報告者 辻垣晃一さん(京都府立須知高校)

 

昨年の127日(木)、京都新聞・丹波版に次のような記事が載りました。《須知高(京丹波町豊田)の前身である京都府立農牧学校の主任教員だったジェームズ・オースティン・ ウィード(1835年~没年不明)の業績を伝える「京都府農牧学校資料館」が9日、同高にオープンする。資料収集などにあたっていた生徒や卒業生たちが6日、展示物を運び入れた。》―このオープンに至るまでの指導や支援をしていたのが辻垣先生なのです。2014年にウィード研究班が有志で発足したものの、当初は、農牧学校とはどんな学校だったのか、ウィードとはどんな先生だったのか、当初は謎だらけ。でも翌年10月には須高感謝祭でウィード展を開催。2016年には、京都学・歴彩館で、当時の職員や生徒が書いた文書や手紙など史料群を発見!そして昨年12月に須知高校70周年(農牧学校140周年)記念式典でプレゼンをしたり、全国高校生歴史フォーラム(地歴甲子園)へ応募し優秀賞を受賞したり。地元のみなさんも大喜びで、京丹波町文化賞も受賞。そして資料館の開設につながっていったのです。生徒とともに積み重ねた地域の、そして学校の掘り起こしレポートです。「地域の掘り起こし」の分科会で報告されます。

 

報告⑤「教師と市民でつくる社会科研究会」

報告者 片桐康志さん(京田辺市立田辺中学校)

 

片桐先生は、今年3月で定年退職。いまは再任用教諭として、初任者指導もされています(4校で5人を担当)。歴教協の会員歴は33年。なのに全国大会で報告するのは、このレポートが初めてというのです。内容は、山城社会科研究会(略称「山社研」)の活動をふりかえり、教訓と課題を明らかにしようというものです。40年ほど前に、府南部の若い社会科教員たちが自分たちで始めた研究会。府政の転換による自主研修への風当たりが厳しくなった時期も経験されています。さまざまな悩みや困難を抱えながらも、地道に活動を続ける山社研。いま片桐先生が事務局長。山社研の魅力の一つが「長~い」研究会だと。「明日の授業をどうするか?そんなん急に無理。5年後に少し、10年後にだいぶ、20年後にしっかり力が付く蓄積型の研究会」と。「楽しく学べることが一番大切」「多忙な教師にかかる負担を少なくする」「みんなで若手を育てる意識で参加する」「いずれ若い先生方が運営する研究会に」「〈こうあるべき〉ではなく、〈こうあるから、どうしよう〉と一緒に考えていく」「外に開かれた研究会であり続ける」など、箴言(しんげん)満載。サークル活動のしんどさも大事さも楽しさも、全部出てくる報告です。明日の歴教協を考えることにもつながります。「父母市民の歴史学習」の分科会で報告されます。

 

報告⑥「国際平和ミュージアムでのガイドの立場から

-児童・生徒をふくむ市民の歴史認識と今後の課題-」

報告者 足立恭子さん(国際平和ミュージアムでのガイド)

 

 

市民が「平和のための京都の戦争展」を始めたのが1981年。そして立命館大学と連携してミュージアムができたのが1992年。93年ガイドの養成講座が開講し、94年からガイド活動が開始。今では60人余りのガイドがいて、足立さんもそのお一人で2003年からガイドをされています。その経験の一端を整理し、今後の課題を提起されました。

例えば、慰安婦のパネルの前で、5年ほど前に来館した当時90歳の男性がガイドを聞いたあとこう語ったという。「20歳の頃ブーゲンビル島に上陸した我々部隊の全員はある場所を目指して走った。慰安所だ。…せめて慰安婦相手が休まる時だった。こんな恥は復員後誰にも言ったことがない」-女性の視点からだけではなく、加害被害両方の視点から、軍隊や戦争がいかに人間性を破壊するかとガイドするようになったとのお話。また例えば、1938年福知山二十聯隊が南京攻略戦に参加し、多数の餓死者の遺骨が還ってくる場面のパネル前で、「みんな何で同じとこを怪我したの?」と聞いてくる生徒がいたというのです。また近年は中国や韓国からの留学生の来館者も増えて、「母国に対する日本の加害責任が展示しているのを見て安心した」という感想を残していくというお話もありました。ガイドとしての経験談は近現代史教育にとってとても示唆的だと感じました。「現代の課題と教育」の分科会で報告されます。

 

報告⑦「車道・車石から琵琶湖疏水へ―近世京都の物流路―」

報告者 久保 孝さん(元・小学校教員)

 

 

久保先生は小学校4年生に「雨の中を行く牛車」の絵を見せます。峠道でどろに足を取られ、あえぐ牛、あせる牛方(牛を引いたり押したりする業者)。子どもたちはその様子にびっくりします。「牛がかわいそう」という子もいます。「京都は内陸の都市。江戸時代、大津に集められた米は、京都へ土の道で運ばれていたのです。当時の人も牛がかわいそうと思ったのです。みなさんならどんな工事をしますか?」そして、車石の登場です。久保先生は実物大のレプリカを取り出します。

 

車石とは、江戸時代後期に京都周辺の三街道(京津街道・竹田街道・鳥羽街道)の車道(人や牛馬が通る街道と併設されていた牛車専用の道)に敷かれていた敷石のこと。明治初年に撤去されたけれども、街道の側溝石垣などに転用され、今も残っています。琵琶湖疏水を正しく理解するには、それ以前の京都をめぐる交通路の開削・改修、つまり車石の敷設、日ノ岡峠切り下げ工事などを知る必要がある。疏水学習は、北垣知事・田辺技師を中心にした行政賛美で終わってはいけない。車石は、疏水以前の物流を考える上で、すばらしい地域素材だという久保先生の思いが伝わってきました。「小学校34年」の分科会で報告されます。

 

報告⑧「中学校社会科におけるESDの実践と課題」

報告者 橋本 陸斗さん(京田辺市立田辺中学校)

 

ESD(持続可能な開発のための教育)とは、すべての人々が持続可能な未来の実現に必要な知識や技術、価値観を身につけることができる教育のこと。そしてESDの中で、SDGs(持続可能な開発目標)が注目されているとのこと。SDGsは、2015年の国連サミットで採択された国際目標で、17のゴールが設定されています。この考え方を社会科に活用しようと、橋本先生は、昨年度担当していた2年生の日本地理学習で取り入れました。例えば、ESDを意識しながら、中部地方でトヨタの生産方式(カンバン・ジャストインタイム・昼夜二交代)を取り上げています。そうすると、「すべての人に健康と福祉を」の視点から、「不安定な労働環境は健康によくないのではないか」という意見が出てきたり。また東北地方の学習では、大震災を教材化。浪江町のゴーストタウンの映像も見せて、SDGsの視点で考えさせています。「自主避難者への住宅無償提供打ち切りは「人や国の不平等をなくそう」の視点から間違っている」という意見も出ています。

生徒たちは、グローバルな視点からとらえて、なぜ政府はこのような問題に対して対策を行わないのかという率直な疑問を持つようになるけれども、どのような具体的なアクションに結びつけるかという点については課題が残ったと、橋本先生はふりかえっています。「自分たちも何かできる」という思考までどう発展させるかとう問題です。実践をしたあと、試行錯誤されようとするって素晴らしいことだと思いました。「中学校地理」の分科会で報告されます。

 

報告⑨「過疎地域で地域認識をどう育てるか」

報告者 吉田武彦さん(福知山市立三和中学校)

 

 

吉田先生は、大会の全体会で地域実践報告をされますが、時間は40分。そこでは語れない最近の実践がこの報告です。基本的な考え方は一貫しています。先生のぶれない思いはこうです、〈過疎地域で地域を学ばせずにいることが過疎化に拍車をかけていないか、「村を捨てる学力」ではなく、「村を育てる学力」とは何かを考えてきた。現在もその途上である〉。

例えば、夏休みに、全校生徒に地域調べの主題を出す。それを文化祭はもちろん地域行事にも出展する。「まるごと博物館づくり」と吉田先生が名付けた地域調べで、K君は、戦時中に珪石・マンガンを朝鮮人が採掘していたことを調べまとめています。Iターンして三和町にやってきた人に思いを聞いてまとめる生徒もいます。祭の由来や養蚕業や地域に伝わる民話など、実に多彩な地域調べです。生徒たちの力作を見た地域の方々(三和町文化協会など)が興味を持たれ、学校外へ広がって行きます。こうしてできた地域の方々とのつながりを大事にしながら、いま吉田先生は小中一貫校を見越した教育課程づくりの中心的な役割を担っています。昨年6月には福知山公立大学の塩見直紀氏を呼び、地域を学ぶワークショップを開催し、その成果を「みわAtoZ」としてまとめた作品を見せてもらいました。地域で感性を育て、地域にあるものを活かし、新たな地域を創造できる力をつけさせたい-という吉田先生の熱意が伝わってくる報告です。「中学校地理」の分科会で報告されます。