歴教協・第71回全国大会(埼玉)

大会テーマ

ともに生きる、ともに歩む―対話からひらく未来

とき 2019年8月3日(土)~8月5日(月)

ところ 草加市文化会館・獨協大学

基調提案 歴教協委員長 山田朗さん

歴教協は1947714日発足しました。その翌日に三鷹事件がおこっています。

いま植民地支配の記憶、加害体験の記憶が消されようとしています。戦後日本の歴史認識のバイアス(ゆがみ)が「徴用工」問題にもあらわれています。815日は「終戦」でもありますが、「解放」の日でもあります。交流・対話によって自分たちとは異なる歴史認識にふれた時、初めて自分たちの歴史認識のバイアスが認識できるのです。

消えていく記憶を掘り起こして行かなくてはなりません。いまや加害・被害を含めての戦争の記憶の継承は、その体験者から非体験者への継承ではなく、非体験者者から次世代非体験者への継承へ、残された物証のさらなる発掘や再検証が主流となってきています。放置すれば、修正主義やナショナリズムへ向かってしまします。諦めてはいけません。

記念講演 学校をカエル!

―「教育」の病から抜け出すために

内田良さん(名古屋大学准教授)

いじめ・組み体操・部活

左は2015年度の小学校のいじめ発生件数を都道府県別にあらわしたものです(右は不登校のグラフ)。都道府県による大小の差が、とても大きいことがわかります。ずいぶんバラツキがあります。京都や宮城が多く、佐賀とか少ないです。あなたが小学生ならどこへ行きたいですか。佐賀ですか。少ない方がいいですか。私なら、逆を選びます。少ないから安心できるわけではありません。しっかり報告をさせなければ、いじめは減ったように見せかけることができます。これに対して、不登校や学力テストの統計はバラツキが少ないです。

学校のリスク問題に取り組んできました。例えば、組み体操です。たしかに感動や団結の高揚があります。一方で毎年多くのけが人や死者が出ていました。明らかにリスクや負の側面があったのに改善されませんでしたが、2016年国が動き、死亡事故は減りました。これでは現場の負けではないでしょうか。

これはある中学校の学校目標です。「限りなき前進」と書いてあり、その下に「忍耐・努力・根性」とあります。「前進」のためには「忍耐」が必要って、これでいいのでしょうか。

高校の写真です。部活で優秀な成績をあげたことをアピールする垂れ幕がかかっています。垂れ幕だらけの学校もあります。高校って、何をするところでしょうか。高校の廊下です。生徒が走っています。階段も部活で走っています。廊下で、卓球部が活動している写真です。いいんですか。廊下って、走っちゃいけない所ではないのですか。ぶつかってけがをしたら、「前をよく見ていないからこんなことになる」「きみの不注意」になるのですか。

柔道のけがも多いのです。そもそも部活は教育課程外の活動です。授業は学習指導要領で制度設計がなされていますが、部活にはありません。部活動は制度設計無き教育活動です。ヒト、モノ、カネという条件無き教育活動です。

ブラック部活動がようやく注目されるになってきました。ある分科会で、私の話を聞いた先生が「部活の指導が本当にしんどい」と率直に告白されましたが、びっくりしたのは「そんなことを言っている人は一部です」と切り捨てられたのです。これには私もショックでした。私は、部活全廃論者ではありません。組み体操全廃論者でもありません。リスクを減らして楽しくやろうと言っているのです。安心、安全の上での教育活動を求めているのです。

教員の長時間労働

教師の長時間労働について考えましょう。

教員の過労死が続いています。給特法(1971年)で、教員の給与にプラス4%が加算された結果、不払い残業が合法化されたのです。裁判でたたかおうとしても、給特法による判例が出てしまっています。時間管理無き長時間労働が横行するようになっています。この結果、何がおこったのでしょうか。学校では勤務時間意識の欠如が、行政や研究者にはコスト意識の欠如が顕著になってきています。

教育はいわば無限の活動です。これに対し、教員は有限です。ついつい教育的意義があるからといって、仕事を増やしてしまいます。意義があっても削る、優先順位を考えることが大事です。部活は教育課程外の活動です。自主的な活動は暴走してしまうのです。リスクの上に成り立つ楽しさであってはなりません。

地域実践報告 ともに生きる、ともに歩む

―子ども・教師・地域がともに学ぶ未来とは

報告者 井村花子さん(上尾支部)

LGBTへの差別に対して授業したのですが、生徒の心に響かなかったのです。後悔から始まりました。説明するのではなく、生徒とともに学ぶ授業をどうやって創り出すか。そんな問題意識を持ちながら、「ともに生きる~みんなが幸せに暮らす平和な社会をつくる~」を学習テーマとして昨年度中学3年生とともに取り組みました。

―という紹介のあと、1年間の実践が報告されました。人権朝会、戦争体験の聴き取りとピースメッセージ、まちの音楽祭、人権講演会(テーマは「日本のなかの多文化」)、LGBT&命の授業、朝鮮学校との仲良し交流会、ともに生きる学習発表会、そして感謝の時間。いまは高校となった生徒たちが案内役となり、それぞれの取り組みに参加された方々が次々にステージに。アイヌの方々やエイサー隊、朝鮮学校の生徒によるパフォーマンス、地域の方々のスピーチ、生徒たちによる寸劇、映像などを駆使しながら、とても楽しく発表されました。ときには先生からの企画が生徒たちによって却下されたり、受験期のあわただしい時期にも生徒たち自らやりくりをしながら学びを重ねていきました。同じ学年の所属されていた若い先生が「仲間のことを考えるやさしい学年でした」とのコメントもとても印象的でした。

内田さんから、講演に対する質問への回答

私たちはどうしたらいいですか?

上から変えて行くのではなく、現場から変えていくことに期待します。ただ当然ながら部活動、大好きな先生たちがいて、またお金や時間に関係なく働くことが教育だという文化があります。そういった意味では職員室でたたかえないからこそ、ツイッターで盛り上がってきたということがあります。僕個人のたたかいかたですけど、僕は本丸の中にいる人たちとガチで戦おうなんて思ったことは一回もないです。こわいんで(会場、笑)。そうじゃなくて、きっとそんなに遠くない思いの人たちがこの場にいて、隣の人に話しかける。もともとこの改革ってどうやって動いてきたかというと、ツイッター上で誰かがつぶやいて「部活、苦しい」「私もそうなの」「私もだよ」って盛り上がってきたのですよね。だから結局私たちができることは、理解できそうな人と話し合って輪を大きくしていく。そして少しずつ本丸に迫っていくっていうやり方です。そういうふうに理解していただけるときっと明日からでもできることがあるのかなと思います。

給特法について、いくつか質問がありました。

給特法に変わる制度設計とはどういうものでしょうかとか、勤務時間外の残業は拒否できないということでしょうかということです。

まずもって裁判の判例で、先生方は自主的に残っていることになっちゃっているんです。よっぽど明確に校長が「これ命令やで、8時までいろよ、俺見ているからな」というくらいにがんじがらめにならない限り、好きで残っているという判断をされちゃうんです。そういうところが非常にたたかいにくいのです。ブラック企業はたたかえるんです。労基法で。残業代、払ってないじゃないかって。労働している分は労働と見なす法律に変えていく。つまり労基法を通すようにしていくということがこれからの設計としては必要かなと思います。

保護者に関して

「私の学校では、保護者で熱心な方がいて、中には土日子どもが家にいるのがいやだという理由でやらせているような親もいます。どういうふうに対応するべきでしょうか」とか、「進学のために有利だということで子どもに部活をさせる保護者もいます、どういうふに対応したらいいでしょうか」とか、ありました。

働き方改革に関する中教審の答申が今年の1月に出ました。その目玉が、学校の先生の業務とそうじゃないものを仕分けしたのです。そこまでは調子良かったのです、世論も。ところが仕分けが具体的になってくる、たとえば登下校の見回り、保護者がやってくださいというふうに見える化してきたとたんにツイッター上で保護者が反発し始めました。それまでは「先生たち、たいへんだね」って言ってた保護者までもが、いざ仕事が見えてくると「これ、私やるの?」みたいな、急に自分の事化してきたのです。だからいまある意味、逆境にもあります。だからいまとりあえず言えることは、学校業務を減らすことはまだ言いやすいかな。学校の中で何が減らせるかという議論がまずは安全な領域としてできるかなと思います。

そういった意味で、学校行事を削っていくことが一つのポイントかな。名古屋市では運動会を午前中だけにする学校が広がっています。ところが新聞の見出しにどう出たか。たまげました。「暑さ対策」だって見出しに出るのですよ。確実に「働き方」です。1月に答申が出て一気に名古屋市が動いて。でもマスコミが取材に行くと「熱中症対策」って答えるんですね、学校とか教育委員会は。びっくりしました、また子どものためって答えるんですよ。そうじゃなくて、いま何で言わないですか、「私たちが苦しいんです」って。いま見える化しないと改革って進まないですよ。隠したら進まないのに、「子どものため」って…あ~やり方間違えてるなって思います。いま見える化すれば、理解されるようになってきています。

見える化しましょう

次。「私の学校ではパソコンを使って出退勤を管理していますが、教頭がデータを改竄しています(会場、笑)」。これ、やばいですね。

データ改竄は論外ですが、なかには先生自らが過少申告する人がいますよね。この前、僕の研究室に産業医が来ました。「教員がめちゃくちゃしんどいと聞いているのに、実はうちにはだれも来ないのです、どうなっているのですか。絶対倒れているはずです。救うように助けてください」と来たのです。先生たち、過小申告して見える化ではなく消える化して、何も表に出さないから産業医も気づかない。確かに面倒ですよ、普通に申告したら教頭にいろいろおこられるかもしれません。でもいま見える化して少しでも改善のためたたかって行く。忙しいからたいへんですが、このまま隠していたら同じ事が続くと心に留めておいていただけるとありがたい。そのために近い人と対話していくということが大切です。

トークタイム(20分間)

近くに座っている仲間23人ずつに分かれて対話してみました。会場のあちこちに若手スタッフがいてサポートしてくれました。そのあと、その対話をふまえて、ステージでパネルディスカッションがワイワイと展開されました。その一部を紹介しましょう。

第1ラウンドのテーマ「授業を変える―教師はどこまでやるべきか」

高校生

「授業を聞くだけだったら耳から入って反対側の耳から出ていくだけだけれど、学んだことを自分から発する、アウトプットするとより学びやすくなるというのはあると思うので、そのぶんで授業を変える必要はあると思います。」(会場、拍手)

内田さん

「僕にとって旬な話題です。これまで授業の内容って何も変えてこなかった。けどこの1年劇的に変えました。なんでかというと、人に世の中変えよう変えようと言ってきたのに自分は何も変えてこなかったからです(会場、笑)。まず学生が勉強していないと気づくのですね。学生を引きつけるために、授業中ツイッターでハッシュタグつけて走らせて、紙は使わずに全部パワポだけで、基本的には写真と動画ばっかりです。若者に一番近いメディアでやっていくと、それだけで出席率よくなります。顔上げて聞くようになります。」

若い先生

「プリントとテスト、やめるという話ですが。自分もテストはやめてもいいと思っています。何でかというと、頭がいい人がえらいとか社会の役に立つとか、もう思っていないと思うのです、時代も時代で。なので点数が高いから5とか4とか、そこを評価するんじゃないのでは。人間力とか生きる力とかにして通知表を変えて行けばいいじゃないかなと思います。」

高校生

「私は、テストはあっていいと思ってて、テストで順番付けて、上の順位取れてうれしかったなあっていうことで、勉強の意欲を出すっていうのも全然ありと思うし、成績のために勉強がんばるのも理由にしていいじゃないかと思います。」(会場、拍手)

井村さん

「教えたいことを必死に説明したときに、子どもの心に届かなかったという思いがありまして、子どもたちが自分たちで見つけた答えとか自分たちで発信した思いとかが心に残るのかなと思い、いま授業をつくっています。ただすごく難しいです。教えた方が楽です。でも子どもたちが自分で気づいてくれた時はとってもうれしいですし、彼ら彼女らは私の考えを却下し続け、最後巣立って行ったうれしさというか寂しさというか頼もしさがあったので、子どもたちが学ぶっていうのは何よりも一番なのかなって思っています。」

第2ラウンド「学校を変える―教師はどこまでやるべきか」

司会

「先ほどの実践報告、学校あげての取り組みだったのですが、管理職の先生はどんな対応だったのでしょうか。」

井村さん

4月の職員会議に一年分全部提案します。管理職の先生もほかの先生方も、まあいいじゃないかなということでやってます。「職会通ってます」の一言で、だいたいうまくやってます。あと年間指導計画に全部入れておきます。」(会場、拍手)

内田さん

「先生って、休み時間休んでないんですよ。本当は休憩時間は45分あるんですよ、コンビニ行ってもいいんですよ。でも見たことないでしょ。それくらい先生方って休み時間ないです。先生たちのなかで、休み時間とりましょうってなっていません。だから生徒から言ってみたらどうですか、先生休み時間とっみたらいかがですかって。先生がどういう状況になっているか、気に掛けてもらうといいです。」

高校生

「子どもと教師がともに校則をつくるっていうのは今までやってこなかたことだなって、子どもとしてはうれしいなと思います。校則って幅広すぎて、子どもが考えるには難しいところもあると思うのですが、制服のことですが、私の高校では夏でも運動部だとしても、夏休みでも制服で行かないといけなくて、みんな暑いなか汗流して行くんですけど、学校によっては学校指定のポロシャツで登校していいという学校もあってうらやましいなと思います。子どもたちの意見も取り入れてくれるのはすごくうれしくて、そしたら校則を破る人がいなくなるんじゃないけど、反映されてこの校則なんだと、一緒に守っていこうと子どもも増えるんじゃないかなって思います。」

高校生

「(内田さんに)さっきピラミッドをやると危険だって言ってたじゃないですか。僕の妹は運動会から帰って来たあとに、何楽しかったって聞いたときに、ミラミッド作って楽しかったって言ってくれたんですよ。先生たちには申し訳ないことを言うんですけど、ミラミッドを作って落ちたときのリスクをしょってやらないのではなくて、落ちたときに守る先生がいてほしいと思います。リスクと楽しい事って背中合わせじゃなくて、リスクをしょってやらないとなると夏の体育も絶対できないと思うんですよ。でもそれはやってる、じゃピラミッドはなんでやらないのっていう僕の疑問です。」(会場、ざわつく、拍手)

内田さん

「あのー、夏の体育もやめた方がいいです(会場、笑、拍手)これはね、ほんとちゃんとみんなで考えなくちゃいけなくて、そうやってやってて、感動した、夏がんばって乗りこえたなかで倒れたり亡くなった人が僕のところに来るのですよ。そんなときに何でこんなことやっちゃったんだろうって。リスクって、リスクと隣り合わせで行動しながら学ぶだけじゃないんです。こういうリスクがあるよねって考えて避けることだってできるんです。要はリスクの中へ自分が突っ込んで行って学ぶだけじゃなくて、シュミレーションしながら学ぶ。プールの飛び込みだったら、頭から飛び込むんじゃなくてまず足から飛び込む。あ、これ頭から飛び込んじゃ危ないって学ぶ。安全にリスクを学ぶ方法があるんです。学びながらリスクの感覚をつかむことができる。夏の運動もすごく大事だから、だったら時間帯どうしたらいいんだろうとか、朝早くだとか夜遅くだとスポーツできるかもねとかってね。こういうふうに考えていくことがリスクを考えるということで、それはまた大学でやりますのでお会いしましょう。」(会場、笑い、拍手)